現代日本を代表するリアリズム画家・諏訪敦による、約3年ぶりの大規模個展。

静物画や肖像画を中心に、初期から最新作まで約80点が展示され、作家の制作の変遷をたどることができます。

コロナ禍以降、「人を描けなくなった」と語る諏訪が、再び人物表現に向き合うまでの内省と再生のプロセスが、本展の重要なテーマ。
「見ること」「描くこと」そのものを問い直す、静かで深い余韻の残る展覧会です。

WHAT MUSEUM にて
2026年3月1日(日)まで開催中

*********
諏訪敦さんといえば、「写実絵画」を描く画家。
かつて、病に倒れた父親と、その父が残した手記をもとに制作した作品を図録で見て以来、ずっと気になっていた作家でした。

今回、こうしてまとめて作品を見る機会を作ってくださり、WHAT MUSEUM には感謝しかありません。



さて、「きみはうつくしい」展で実際の作品を目にして。

どの作品も写実的でとてもすばらしい。

その中で感じたのは、「うつくしい」という言葉を超えて、 「崇高」という表現の方がしっくりくるような作品群だと強く思いました。

崇高(Sublime)という意味は、
単にきれいなもの(「美」)とは異なり、圧倒的な強さや大きさ、あるいは死のような理不尽な恐怖を感じさせるものに対して、 それらを凌駕する荘厳さや精神的な高揚を感じることを指します。

哲学者エドマンド・バークなどが論じたように、 恐怖と美は紙一重のところで隣り合っている、という感覚です。

「美しいだけの国 ver.2」

「不在」

会場には、諏訪さん自身の言葉も併せて展示されています。
「汀にて」

「父をなくした時と同じように、

死の床の母を静物のように描いた自分は、

ちゃんと悲しむことのできない、

こんな<人間もどき>なのかもしれない。
(後略)」

なんと言えばいいのか……。

とても切なく、胸が締めつけられるような言葉でした。
人の、ましてや母の「死」をちゃんと悲しむことができないと思う心情に、 かえって「深い哀しみ」を感じてしまいました。



**********
この後の作品は写真も撮ってきたのですが、 人によってはショックを受けるかもしれない内容なので、 ここではタイトルと感想だけにしておきます。
でも、できれば本物をぜひ見てほしいです。

「依代」
横たわる裸婦。その体のあちこちに、光? 鬼火? のようなものが浮かんでいる……。
「九相図に描かれる表象の前段階」のようなイメージを抱いてしまいました。

一見静かでありながら、生死を司る「なにか」が蠢いているような、 すさまじさをも感じる絵でした。

「肉叢(ししむら)」
子鹿が描かれています。
この子は、生まれてきたところなのか、それとも死に向かうところなのか。

以前、科学番組で、哺乳類を人工子宮(ビニールバッグのようなもの)で育てる実験映像を見たことがあり、 それを思い出しました。

もしかしたら、これは「生まれる瞬間」を描いた作品なのかもしれない、とも感じました。

「H型イーゼル」
こちらも子鹿が描かれています。

今度は、すでに死後、祭壇の上で「神」的な存在へと変わりつつあるのでは…… そんなことまで考えてしまいました。


私たちの存在とは切り離せない「生と死」。
けれど特に「死」について、私たちは普段、その状況を考えないようにして過ごしています。

それでも、死は確実にそこにある。
そのことから目を背けているからこそ、 私たちはどこか宙ぶらりんな状態で生きなくてはならないのかもしれない。

(もちろん、「死」を軽く見ているわけではありません。 他者によって「生」に終止符が打たれるなど、決してあってはならないことだと思っています。)

諏訪敦さんが「感じ取られて、描かれたもの≒うつくしいもの」として提示した世界は、
私の心の奥底で、通奏低音のように、静かに、しかも痺れさせるように鳴り続けています。

非常に深く考えさせられる展覧会でした。

「諏訪敦|きみはうつくしい」展
WHAT MUSEUM にて 2026年3月1日(日)まで開催していますので、ぜひご覧になってください。


ランキングに参加しています。
応援クリック頂けると嬉しいです。
にほんブログ村 ふだん着物
にほんブログ村